第20回全日本少年少女けん玉道選手権大会 関東大会
2008年の6月29日にタイトル通りの長い名前の大会に審判及びスタッフとして参加。大会の審判はこの大会が初めて。
ここの大会の男子、女子の部で優勝した子が本大会に進めるので関東の全体のレベルが把握できる大会であるし自分はこの時は初参加だったのでどんな内容になるのかとても興味があった。
以下、当日の日記より抜粋。
今朝は6時に起きて7時に出発。9時前に現地に着いてまずは会場準備。昼間ではけっこう気楽だったが午後の決勝トーナメントは女子の1回戦2試合の主審をした。大会で審判をすること自体殆どなくて最初の2試合は副審やって残りの2試合で主審。まだ男子と同時進行だったので多少緊張がそがれたが審判は大変だ。
決勝トーナメントは順当に男子は最高点の49点の子が優勝し、女子は満点2人の決勝戦だった。女子の方は本大会でもそこそこ勝負になりそうだがとんぼ返りと一回転技がどうなるかといった感じ。
片付けが終わった後の反省会で松永さんが言ってた「やっぱりフライングする奴は負けるな」という言葉が印象的だった。確かにそんな気がする。フライングをするということはコールに合わせているので自分のペースを乱しているということなのかな。今後の自分の試技の時にも参考にしよう。
ここの大会の男子、女子の部で優勝した子が本大会に進めるので関東の全体のレベルが把握できる大会であるし自分はこの時は初参加だったのでどんな内容になるのかとても興味があった。
以下、当日の日記より抜粋。
今朝は6時に起きて7時に出発。9時前に現地に着いてまずは会場準備。昼間ではけっこう気楽だったが午後の決勝トーナメントは女子の1回戦2試合の主審をした。大会で審判をすること自体殆どなくて最初の2試合は副審やって残りの2試合で主審。まだ男子と同時進行だったので多少緊張がそがれたが審判は大変だ。
決勝トーナメントは順当に男子は最高点の49点の子が優勝し、女子は満点2人の決勝戦だった。女子の方は本大会でもそこそこ勝負になりそうだがとんぼ返りと一回転技がどうなるかといった感じ。
片付けが終わった後の反省会で松永さんが言ってた「やっぱりフライングする奴は負けるな」という言葉が印象的だった。確かにそんな気がする。フライングをするということはコールに合わせているので自分のペースを乱しているということなのかな。今後の自分の試技の時にも参考にしよう。
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第30回全日本けん玉道選手権大会
2008年5月25日の話。
第30回大会ということで選手の枠が拡大されたことにより、予選のボーダーがかなり下がることは当日の参加選手の表を見てわかっていた。予選を通れる自信はかなりあったけど、問題はそこではなく如何に普段の力をそのまま本番で出せるかであった。
2007年は練習での予選の点数が10~11点くらいで本番は緊張のあまり7点。2008年は平均が15~16点程度でどこまでできるか注目していたが、結果は12点と前年と変わらず平均点-3点。とりあえず、去年の点数を大きく上回れたので良しとしよう。
決勝トーナメント1回戦の相手は15年ほど前のチャンピオン。
一種目目は円月殺法で××○のドロー。明らかに地に足が着いてない。
二種目目は銀河系一周で×××のドロー。これはしょうがない。
三種目目は二回転灯台で○と一本。ここでちょっと落ち着く。
四種目目はすべり止め極意で○と一本。去年に続き一回戦勝利。
二回戦の相手は5年くらい前のチャンピオン。
一種目目すべり止め極意×で一本取られる。
二種目目に回転灯台×で負け。しょうがない。
全体を振り返ってみると去年よりは動けていたと思う。ある程度場数を踏んだことと、技の成功率が去年に比べて上がったことにより自信が持てていたからか。まだまだ決勝トーナメント常連の人とは技の精度に差を感じたので練習がまだ必要だ。
大会終了後に六段の技量審査を受ける。こっちは全日本に比べれば頻繁に受けられるし、全日本という大一番の後とあっていくらか気分は楽に臨めた。
最初の宇宙一周は自信があってノーミス。うぐいすもノーミスでクリアし、ちょっと心配のつるしとめけんへ。つるしとめけんはあまり大会で出てこないので練習もあまりしてなくけっこうやってしまうことがあった。1回目でいきなり失敗するも6回連続成功で8回目にまた失敗。その後はドキドキの中2回決めて一番の山場のはねけん。
はねけんは練習でも3~4回に1回は規定回数できない状態だったが、その後で失敗することはまずないので腹をくくる。1回目は決めるも2回目で失敗。やっている時に目線の先のテーブルが気になって(けんと背景の色が似ているとけんの軌道が目で追いにくい)角度を変えてやる。すると、これが良かったのか後はノーミスではねけんクリア。その後は自信があったけど、とんぼ返りあたりで終わりを意識したのか手がちょっと震える。それでも技の方はどんどん決まって無事技量審査はパス。
自由種目は宇宙遊泳一回転月面着陸とピルエット稲妻落とし。全日本と同じくらい練習してきたのでしっかり決めた。
自分のことも色々あったけど、色んな地域の人と話をしたり技のやり方を見たりと収穫の大きい大会だった。
第30回大会ということで選手の枠が拡大されたことにより、予選のボーダーがかなり下がることは当日の参加選手の表を見てわかっていた。予選を通れる自信はかなりあったけど、問題はそこではなく如何に普段の力をそのまま本番で出せるかであった。
2007年は練習での予選の点数が10~11点くらいで本番は緊張のあまり7点。2008年は平均が15~16点程度でどこまでできるか注目していたが、結果は12点と前年と変わらず平均点-3点。とりあえず、去年の点数を大きく上回れたので良しとしよう。
決勝トーナメント1回戦の相手は15年ほど前のチャンピオン。
一種目目は円月殺法で××○のドロー。明らかに地に足が着いてない。
二種目目は銀河系一周で×××のドロー。これはしょうがない。
三種目目は二回転灯台で○と一本。ここでちょっと落ち着く。
四種目目はすべり止め極意で○と一本。去年に続き一回戦勝利。
二回戦の相手は5年くらい前のチャンピオン。
一種目目すべり止め極意×で一本取られる。
二種目目に回転灯台×で負け。しょうがない。
全体を振り返ってみると去年よりは動けていたと思う。ある程度場数を踏んだことと、技の成功率が去年に比べて上がったことにより自信が持てていたからか。まだまだ決勝トーナメント常連の人とは技の精度に差を感じたので練習がまだ必要だ。
大会終了後に六段の技量審査を受ける。こっちは全日本に比べれば頻繁に受けられるし、全日本という大一番の後とあっていくらか気分は楽に臨めた。
最初の宇宙一周は自信があってノーミス。うぐいすもノーミスでクリアし、ちょっと心配のつるしとめけんへ。つるしとめけんはあまり大会で出てこないので練習もあまりしてなくけっこうやってしまうことがあった。1回目でいきなり失敗するも6回連続成功で8回目にまた失敗。その後はドキドキの中2回決めて一番の山場のはねけん。
はねけんは練習でも3~4回に1回は規定回数できない状態だったが、その後で失敗することはまずないので腹をくくる。1回目は決めるも2回目で失敗。やっている時に目線の先のテーブルが気になって(けんと背景の色が似ているとけんの軌道が目で追いにくい)角度を変えてやる。すると、これが良かったのか後はノーミスではねけんクリア。その後は自信があったけど、とんぼ返りあたりで終わりを意識したのか手がちょっと震える。それでも技の方はどんどん決まって無事技量審査はパス。
自由種目は宇宙遊泳一回転月面着陸とピルエット稲妻落とし。全日本と同じくらい練習してきたのでしっかり決めた。
自分のことも色々あったけど、色んな地域の人と話をしたり技のやり方を見たりと収穫の大きい大会だった。
2008年春(JKA、学連)
08年1月のJKAは決勝種目が変更された一回目の大会で優勝ラインがいくつになるのか注目されていた。予選のボーダーも全くわからない状況で開始。なんか知らないけど技が決まってまさかの17点で予選通過。決勝は緊張感に負けて26点で19位。うらふりけんととんぼ返りが全然決まらなかった。
まだまだ全国大会の緊張感に勝てず崩れることが多かった。
優勝予想は46点と思っていたら47点が優勝。ただ、2位は44点でした。小学生パワー恐るべし。新しい技への適応力の違いを見せつけられた。
3月にあった学生連盟の大会はフリースタイル選手権、学生社会人対抗戦に出た。フリースタイル選手権は予定の提示技が決まらず凹んだ。学生社会人対抗戦は全く記憶にない。とりあえず不完全燃焼に終わったというイメージだけが残っている。
まだまだ全国大会の緊張感に勝てず崩れることが多かった。
優勝予想は46点と思っていたら47点が優勝。ただ、2位は44点でした。小学生パワー恐るべし。新しい技への適応力の違いを見せつけられた。
3月にあった学生連盟の大会はフリースタイル選手権、学生社会人対抗戦に出た。フリースタイル選手権は予定の提示技が決まらず凹んだ。学生社会人対抗戦は全く記憶にない。とりあえず不完全燃焼に終わったというイメージだけが残っている。
2007年クラス別選手権・パフォーマンス大会
2007年のクラス別選手権とパフォーマンス大会は立命館大学の草津キャンパス(滋賀)で行われた。
クラス別の方は大会慣れもあって自分なりにはそこそこ良かったけど、予選のボーダーに1点足りず15点で予選落ち。
パフォーマンス大会の方は一応、出たけどどういう組み立てをしたら良いのか手探りで選考外でした。ただ、パフォーマンス大会は規定種目ではなくて自分のやりたいことができるから非常に魅力的な大会であった。
クラス別の方は大会慣れもあって自分なりにはそこそこ良かったけど、予選のボーダーに1点足りず15点で予選落ち。
パフォーマンス大会の方は一応、出たけどどういう組み立てをしたら良いのか手探りで選考外でした。ただ、パフォーマンス大会は規定種目ではなくて自分のやりたいことができるから非常に魅力的な大会であった。
2007年夏~秋
全日本の後は7月に大阪ワールドオープンに参加。1回戦で優勝した人に当たって負け。初戦で負けた人同士の敢闘賞戦もいきなり敢闘賞になった人に当たって負け。とにかく、すぐ負けたという記憶しかない。
この日は大会以外の方が色々と充実してて、関西方面の色んな人に出会うことができて行った意味は非常にあったと思う。
この時に初めて2級ライセンスを取ってから認定員をやったと思う。
9月の頭には土日と連発で、土曜に静岡で学連の大会。
学生選手権は3決で負けて4位。ユースは2回戦負け。空中技は予選落ちだったと思う。世の中そう甘くはない。
日曜は滋賀でさのみ杯。段の部と匠の部で参加。段の部は1回戦負けで、匠の部は5位でした。
この時期は大会に沢山参加し、実戦経験もかなり積めた。そして、知り合いも増えた。自分でやるのも楽しいが、趣味が合う人と色々話ながらやる面白さに気付いた頃だった。
この日は大会以外の方が色々と充実してて、関西方面の色んな人に出会うことができて行った意味は非常にあったと思う。
この時に初めて2級ライセンスを取ってから認定員をやったと思う。
9月の頭には土日と連発で、土曜に静岡で学連の大会。
学生選手権は3決で負けて4位。ユースは2回戦負け。空中技は予選落ちだったと思う。世の中そう甘くはない。
日曜は滋賀でさのみ杯。段の部と匠の部で参加。段の部は1回戦負けで、匠の部は5位でした。
この時期は大会に沢山参加し、実戦経験もかなり積めた。そして、知り合いも増えた。自分でやるのも楽しいが、趣味が合う人と色々話ながらやる面白さに気付いた頃だった。